May 30 2005
灯ともせば雨音渡る茂りかな
角川源義
季語は「茂り」で夏。樹木の茂った状態を言う。草の茂ったのは、「草茂る」と別の題がある。詠まれているのは地味な情景だが、技巧的にはむしろ華麗と言うべきか。表は本降りの雨だ。暗くなってきたので部屋の明かりをつけると、窓越しに雨の降る様子が見えた。灯を受けた一角にある茂った樹々に、激しく降り掛かっている。雨脚の動く様子も、かすかながらうかがえる。と、実際に見えるのはこのあたりまでだろうが、この情景に「雨音渡る」と聴覚的な描写を加えたところが非凡だ。よく考えてみれば、茂りを渡っていく雨音は、べつに明かりなどはなくても聞こえていたはずである。でも、そこが人間の五官の面白いところで、句の言うように、これは灯をともしてはじめて認識できる音だったのだ。つまり、明かりのなかに雨を見たことによって聴覚が刺激され、明かりの届かない暗い茂みのほうへと雨音が渡ってゆくのに気がついたというわけである。視覚が、聴覚をいわば支援した格好だ。パラフレーズすればこういうことだが、句の字面からすれば、灯をともしたら音が聞こえたと直裁である。そこで一瞬「えっ」と読者は立ち止まり、すぐに「はた」と膝を打つ。夏の夜の男性的な雨の風情を、わずかな明かりを媒介にして、きっちりと捉えてみせた佳句である。樹々を渡る雨音が、しばらく耳について離れない。『俳句歳時記・夏の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)
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