国税庁のHPでやっと確定申告書プリントまでこぎつけたところで、プリンターが故障。




20050311句(前日までの二句を含む)

March 1132005

 あらうことか朝寝の妻を踏んづけぬ

                           脇屋義之

語は「朝寝」で春。春眠暁を覚えず……。よほど気が急いていたのか、何かに気を取られていたのだろう。「あっ、しまった」と思ったときは、もう遅かった。「あらうことか」、寝ている妻を思い切り「踏んづけ」てしまったというのである。一方の熟睡していた奥さんにしてみれば,強烈な痛みを感じたのは当然として、一瞬我が身に何が起きたのかがわからなかったに違いない。夫に踏まれるなどは予想だにしていないことだから、束の間混乱した頭で何事だと思ったのだろうか。この句は「踏んづけた」そのことよりも、踏んづけた後の両者の混乱ぶりが想像されて,当人たちには笑い事ではないのだけれど,思わずも笑ってしまった。こうして句にするくらいだから、もちろん奥さんに大事はなかったのだろう。私は妻を踏んづけたことはないけれど,よちよち歩きの赤ん坊に肘鉄を喰らわせたことくらいはある。誰にだって、物の弾みでの「あらうことか」体験の一つや二つはありそうだ。この句を読んで思い出したのは、川崎洋の「にょうぼうが いった」という短い詩だ。「あさ/にょうぼうが ねどこで/うわごとにしては はっきり/きちがい/といった/それだけ/ひとこと//めざめる すんぜん/だから こそ/まっすぐ/あ おれのことだ/とわかった//にょうぼうは/きがふれてはいない」。「あらうことか」、こちらは早朝に踏んづけられた側の例である。『祝福』(2005・私家版)所収。(清水哲男)




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