長い歴史を持つ詩誌「詩学」休刊の噂。始まりがあれば必ず終わりありとは言うものの。




20050223句(前日までの二句を含む)

February 2322005

 たかが椿の下を通るに身構ふる

                           林 朋子

語は「椿」で春。「たかが」が気にならないでもないが、句全体はよくわかる。椿はいきなりぼたっと落ちてくるので、うかうか下を歩けないような気分になるわけだ。「たかが」はだから、花そのものへの評価ではなく、たとえ落ちてきて身体に当ったとしても大したことはないの意だから、使い方としては間違ってはいない。「たかが」はストレートに「椿」にかかるのではなく、書かれていない「落花」にかかっているのだ。だが私だけの感じ方かもしれないのだけれど、ぱっと読んだときのファースト・インプレッションは、なんとなく花そのものを軽く見ているような気がしてしまった。俳句の短さからくる私の「誤解」である。誤解が解けてみれば、なかなかに面白い句なのだが……。「身構ふる」で思い出したのは、ハワイに行ったときだったか、ヤシの実の落下には気をつけるようにと注意を受けたことだ。なるほど、あんな高いところからあんな大きなものが落ちてきて頭に当たりでもしたら、命にかかわる。「たかが」どころの話じゃない。ついでに書いておけば、かなり日常的に身構えざるをえないのが、このところ増えに増えてきた土鳩どもの糞害に対してだ。近所の井の頭公園などに出かけると、たまにこいつらに直撃されてしまう。そんなときには、それこそ「たかが土鳩」とののしりたくなる。石原慎太郎都知事の数ある政策(?)のなかで、私は土鳩一掃策を唯一支持している。『森の晩餐』(1994)所収。(清水哲男)




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