February 1522005

 生き死にや湯ざめのような酔い心地

                           清水哲男

生日ゆえ自作を。季語は「湯ざめ」で冬。誕生日が来ると、子供のころからあと何年くらい生きられるかなと思ってきた。平均寿命など知らなかった小学生のころには、人生およそ六十年を目安にして勘定したものだった。周囲の人たちの寿命が尽きるのは、だいたいそんな年齢だったからである。それが、いつしか昔の目安の六十歳を越えてしまった。この間に平均寿命の知識も得たが、これはその年に零歳の赤ん坊があと何年生きるかの目安なのであって、大人の余命とは直接には関係がない。今では男女ともに八十歳を越えたとはいっても、私の年代の平均余命をそこまで保証しているわけではないのだ。で、目安を失った六十歳以降からは、なんとなく「あと十年くらいかな」と勘定している。昨年も一昨年も、そして今年も「あと十年」と思うのは、数字的に減っていないので妙な話なのだけれど、まだ生命に未練たらたらな証拠のようなものだろう。常識では、これを希望的観測と言う。ただ、このところ毎年のように同世代の友人知己の死に見舞われていることからして、他方ではもういつ死んでもおかしくはない年齢に達したことを否応なく自覚させられてもいる。だから、掲句のように内向的になることもしばしばだ。でも、とにもかくにも今日で六十七歳になった。せめて今宵は楽天的に「あと十年は」と決めつけて、心地よい酔いのなかで眠りたい。(清水哲男)




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