February 10 2005
なまぬるき夕日をそこに龍の玉
岸田稚魚
季語は「龍(竜)の玉」で冬。ただし、掲句では「なまぬるき夕日」とあるから、春めいてきた夕刻の情景だろう。ということは、この龍の玉は盛りを過ぎていきつつある。厳寒期にはつやつやしていた瑠璃色の玉も、いささか退色してきた。夕日がつい「そこ」まで来ている日陰に、けなげにも最後の輝きを発しているのかと思うと、いじらしくもあり侘しくもある。「夕日をそこに」の「を」に注目。夕日「が」でないのは、龍の玉の凛としたプライドがなお夕日「を」支配しようとしている気持ちを表している。作者に春の訪れは好ましいのだけれど、一方ではこうして季節とともにひそやかに消えていく存在もあるのだ……。そんな優しいまなざしが、この句を詠ませたのだと思う。俳句では季語の旬(しゅん)を詠むのが普通だが、このように旬を外してみると、そのものの新しくて深い一面が見えてくることがある。いや、俳句に限ったことではなく、常にそのような目を意識的に持ちつづけて表現することが、文芸というものだろう。むろん旬のなかの旬をきっちりと表現することも大切だが、他方ではいつも大きな視野をもって事に臨むことも大事である。旬ばかりをねらっていると、いつしか視野が狭くなってしまい、たとえば「なまぬるき夕日」と「龍の玉」の情景が眼前にあったとしても、旬ではないこの取り合わせを無価値として捨ててしまう危険性は大だと言っておきたい。『花の歳時記・冬』(2004)所載。(清水哲男)
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