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January 1912005

 声高になる佐渡よりの初電話

                           伊藤白潮

語は「初電話」で新年。掲載時期が遅すぎた感もあるが、旅先からの「初電話」なので、松を過ぎてもあり得ることだ。作者は千葉県在住。したがって、日常的には佐渡ははるか遠方である。その遠方に来ての電話だから、自然に「声高に」なったというわけだ。佐渡の様子を新春に報告する気のたかぶりのせいもあるだろうが、それよりも遠方から電話をかけている意識から声高になったと解したい。昔の遠方同士の電話だと、たしかに大声でないと聞こえにくい場合があったけれど、今日では単に遠方が原因で聞こえにくいことは稀だろう。だからことさらに声高になることもないのだが、遠いと思うとつい大きな声で話してしまう心理とは面白いものだ。他人事ではなく、ラジオの新米パーソナリティだったころの失敗談がある。スタジオと都内を結ぶ電話でインタビューするときと九州や北海道間のそれとで声の大きさが違ってしまい、しばしば技術マンに注意を受けたのだった。放送では本番前に回線状態をチェックするので、都内であろうと遠方であろうと、同じようにクリアーな状態で通話ができる。それなのに……、というわけだ。遠方との通話だからといって、いきなり声をはりあげられたら技術者はたまらない。この句は、そんな懐かしい日々にも想いを誘ってくれた。『ちろりに過ぐる』(2004)所収。(清水哲男)




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