January 14 2005
熱燗や子の耳朶をちょとつまむ
辻貨物船
季語は「熱燗(あつかん)」で冬。今日は五年前に逝った辻征夫の命日、私は彼の俳号から勝手に「貨物船忌」と呼んでいる。彼の詩にもよく子供が出てくるが、問わず語りに娘さんの話をすることも多かった。子煩悩だったと言ってよいだろう。最後になった写真には、亡くなる直前に成人式を迎えた晴れ着の娘さんと並んで写っている。成人式がそれまでの一月十五日ではなく、第二月曜日に移動したおかげで、彼は「耳朶(みみたぶ)を」つまんだ「子」の晴れ姿を見ることができたのだった。世の中、何がどう幸いするかわからない。以下に少し長くなりますが、没後二年目の命日に出た『ゴーシュの肖像』(書肆山田)への私の感想を載せておきます。・・・「二年前に急逝した詩人が、折りに触れて書いた散文を集めた本だ。めったにやらなかった講演の記録も、いくつか納められている。/早すぎた詩人の晩年を、私は共に飲み、句会などで共に遊んだ仲である。読んでいると、いろいろなことが思い出される。けれども、不思議に悲しくはならない。おそらく、それは辻征夫の文体の持つ力によるものだろう。そう、合点できた。文体は生き方の反映だ。/詳しくは書かないが、彼は治癒不可能といわれた難病にとりつかれていたのに、文章の上でも日常でも、一言も弱音を吐くことはなかった。だんだん身はひょろひょろと立ちゆかないのに、ひょうひょうとしていた。いつだって、微笑していた。本書を読んでわかったことは、それが単なるやせ我慢から来ているものでは、断固としてないということだ。/集中に「手にてなすこと」と題された短文がある。中原中也の名篇「朝の歌」の冒頭の詩に触れ、「みな何ごとかに従事して、生計を立てている」ことへの思いを述べた一文だ。辻は中也のように親からの仕送りで生きるわけにもいかず、「私は手を使いどおしだった」と書く。ここには、ごく普通の生活者の生き方がある。辻のような才能溢れる詩人でも、満員電車に揺られて生きていかねばならない。それが、世間というものではないか。誰だって、仕方ないなとあきらめている……。/しかし、満員電車に揺られながらも、次のように言えるのが、辻征夫なのだ。「では労働と詩は両立するのか。私は根本のところでしないと考えている。私の全作品を眼の前に置かれても、首を横に振る」。/この一言が、辻征夫の真骨頂である。かくのごとき過激な物言いは、生半可な詩への愛情から生まれるものではない。十五歳にして詩の魅力にとりつかれ、詩を心から愛した男の、これは真実の苦しみの告白と言ってよい。文体の強さ明るさの秘密は、この生涯の苦しみの土台の上にある」。合掌。句は『貨物船句集』(2001・書肆山田)所収。(清水哲男)
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