January 13 2005
父の死や布團の下にはした銭
細谷源二
季語は「布團(蒲団・ふとん)」で冬。ながらく寝たきりに近かった「父」が死んだ。長い間のべられたままだった「布團」をあげてみると、下からいくばくかの「銭」が出てきたというのである。それも、布団の下に大事にかくしておくほどでもない、ほんの「はした銭」だった。みっともないと突き放した詠みぶりだが、その哀れさが逆に父への親しみを増し、作者はうっすらと涙を浮かべているのではあるまいか。いまにはじまったことではないが、年寄りの金銭に対する執着には凄いものがある。何事につけ、最後に物を言うのは金だからだ。若いうちなら「金は天下の回りもの」ですむものが、社会的な経済サイクルから外に出てしまった老人には、そんな気休めは通用しない。収入はゼロであり、蓄えは減ってゆくばかりという生活が長ければ長いほど、よほどの資産家でもない限りは、生活の不安にさいなまれる。体力が衰え、家族としての役割も無くなっていくなかで、金さえあれば多少は人も相手にしてくれることを知っているから、たとえ「はした銭」であろうが握りしめて放さない。私くらいの年齢になれば、この心情は痛いほどによくわかる。他人事ではない。昨今の年金問題を考えるにつけ、政治家どもはこうした年寄りの不安を少しも理解していないなと、痛切に思う。いや、政治家だけとは言えないな。若くて元気な人々も、いずれはおのれが高齢になることを忘れているかのようだ。高齢者に対して、多く世間が偽善的にしかつきあわないのは、そのせいだとしか思えない。『俳句歳時記・冬の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)
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