January 11 2005
手毬真つ赤堅き大地に跳ね返り
河内静魚
季 語は「手毬(てまり)」で新年。ゴム毬ではなく、写真のような「かがり毬」だ。観光地などの売店でよく見かけるが、今ではすっかり飾り物になってしまった。「丸めた綿やハマグリの殻、ぜんまい、いもがら、こんにゃく玉、山繭、砂、小鈴などを芯(しん)にして、その上を布に五色の絹糸や綿糸でかがったものを糸鞠(かがり鞠)といい、江戸時代から少女の遊び道具として発達した。芯にいろいろなものを入れたのは、鞠に弾力性をもたせるためで、なかにはかわいらしい音を出すようにくふうしたものもある。(C)小学館」。ついてみたことはないけれど、とてもゴム毬ほどの弾力性はないだろう。江戸期の女の子は立て膝でついて遊んだそうだが、さもありなん。そんな弾まない毬が、句では「堅き大地に」カーンと跳ね返っている。「堅き大地」は凍てついた大地を連想させ、毬はその大地に何か空恐ろしいような力で叩き付けられたのである。だから、あまり弾まない毬が予想外の高さにまで跳ね返った。そして、この光景に人の気配は感じられない。無人の大地に、ひとり跳ね返った手毬の「真つ赤」な姿だけが読者の目に焼き付けられる仕掛けだ。ゴム毬にはこうした幻想性はないが、このように日本古来の毬には、どこか私たちのイマジネーションをかき立ててくるようなところがある。『花鳥』(2002)所収。(清水哲男)
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