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January 0612005

 凭らざりし机の塵も六日かな

                           安住 敦

語は「六日」。元日から七日まではすべて季語として用いられてきたが、最近の歳時記では「六日」を外してしまったものが多い。実作で用いるにしても、掲句のように、正月が去っていくという漠然たる哀感を伝えることくらいしかできないからだろう。もはや、特別の日の感じは薄いのである。ところがどっこい、少なくとも江戸期まではとても重要な日とされていたようだ。上島鬼貫に「一きほひ六日の晩や打薺」がある。「薺(なずな)」は春の七種の一つだ。そこでお勉強。昔は六日の日を「六日年」とか「六日年越」と呼んで、もう一度年をとり直す日だった。つまり翌七日が「七日正月」の式日なので、それが強く意識され、六日の夕方には採ってきた薺などを切りながら歌をうたい祝ったという。♪七種なづな、唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に……。こうして準備した菜は、もちろん翌朝の七種粥に入れて食べる。すなわち、二度目の大晦日(年越し)だったというわけだ。このように私たちの祖先は何かにこと寄せては、生活のなかで楽しみを見出していた。庶民の知恵というものだろうが、我々現代人もまた、クリスマスだのバレンタインだのと西洋の言い伝えにまで凭(よ)っているのだから、似たようなものである。が、決定的に異なるのは、昔の日本人には楽しみはすべて八百万の神々によって与えられるものという意識が強かった点だろう。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所載。(清水哲男)




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