読み初めはUNIXの参考書。「読初や露伴全集はや五巻」(万太郎)なんて人もいるのに。




20050105句(前日までの二句を含む)

January 0512005

 なんとなく街がむらさき春を待つ

                           田中裕明

語は「春(を)待つ」で冬。一番的な説明としては「寒さも峠を越し、近づく春を心待ちにすること」の意だ。二月半ばくらいの心持ちだろうが、ちょうどいまごろ、新春の気持ちとしてもよいように思う。とりわけて今年の東京のように、元日から晴天がつづいていると、それこそ「なんとなく」街の様子も春めいて見えてくる。加えて「むらさき」は、正月にふさわしい色だ。古来、高貴や淑気と関連して用いられてきた色彩だからである。といって私には、掲句を強引に新春句と言い張るつもりはない。読者の自由にまかせたいが、それはそれとして、句の力は「なんとなく」という一見漠然とした表現に込められていると思った。俳句のような短い詩型で「なんとなく」を連発されると、ピンぼけになって困るけれど、作者はそのことを百も承知で使っている。まるで満を持していたかのように、ハッシと使って言い止めた感すら受ける。人には、正確に「なんとなく」としか言いようの無いときがあるのだ。ところで、作者は旧臘三十日に四十五歳の若さで亡くなった。掲句が収められた今年(2005)のいちばん新しい奥付を持つ句集『夜の客人』(ふらんす堂)は、献呈先に三が日に届くようにと配慮されていて、同封の挨拶状には大伴家持の次の歌が添えられていた。「新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事」。合掌して、ご冥福をお祈りします。(清水哲男)




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