種村季弘さん死去。新宿の酒場で「表へ出ろ」と血相を変えたタネさんを思い出す。悼。




2004年9月2日の句(前日までの二句を含む)

September 0492004

 ひるがほに紙の日の丸掛かりをり

                           吉田汀史

語は「ひるがほ(昼顔)」で夏。ちなみに「朝顔」は秋。まだ近所には咲いているが、そろそろ「昼顔」もお終いだろう。育てる人がいない野生の花だけに、いつの間にか咲き始め、いつの間にか終わってしまうという印象が濃い。典型的な路傍の花である。そんな打ち捨てられたような花に、これまた打ち捨てられた「紙の日の丸」が掛かっている。夕刻になれば紙くずのようになってしまう昼顔と、もはや紙くずと化した日の丸と。もちろん昼顔に掛かっているのは偶然だが、この取り合わせは哀れを誘う。何かの催事に使われた紙の旗が吹き寄せられてきたのだろうか、それとも子供が捨てた手製の旗だろうか。何にせよ、すぐにくしゃくしゃになってしまうもの同士が、こうしてしばし身を寄せ合っているのかと見れば、哀れさは一入だ。ましてや、片方はチラシ広告や新聞の切れ端などではなくて国旗である。ある程度以上の年代の人にとっては、現在の国旗観がどのようなものであれ、路傍に放棄された姿には一瞥チクリと来るものがあるにちがいない。単なる紙くずとは思えないのだ。だから掲句は、読む者の世代によって哀れの色彩がかなり異なるとは言えそうだ。「紙の日の丸」と、わざわざ「紙の」と表記したところにも、作者の年代がおのずから浮き上がっている。俳誌「航標」(2004年9月号)所載。(清水哲男)




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