五輪は開会式のビデオを数分見ただけ。高校野球ありプロ野球ありで、それだけで満腹。




2004年8月5日の句(前日までの二句を含む)

August 1782004

 昼顔の見えるひるすぎぽるとがる

                           加藤郁乎

語は「昼顔」で夏。一つ一つの花は可憐ではかなげに写るが、猛暑をものともせずに咲くのだから、あれで芯は相当に強いのだろう。そんな昼顔が、けだるさも手伝ってぼおっと見えている暑い午後の句だ。ここまでは誰にでも理解できるけれど、さあ下五の「ぽるとがる」との取り合わせがわからない。むろん作者も実際のポルトガルにあって、この句を作ったわけではない。しかし句の字面をじっと眺めていれば、あるいは句を何度か舌頭に転がしてみれば、静かな悲しみを帯びた不思議な魅力が立ち上がってくるのがわかる。多用された平仮名のやわらかい感じ、重ねられた「る音」のもたらす心地よさ。像も結ばないし意味も無い句でありながら、このような印象を受けるのは、やはり私たちの言葉に対する信頼の念があるからだろう。言葉に向き合ったとき、私たちは当然のように何らかの結像や意味を求める。その心的ベクトルをすっと外されたときに受ける戸惑いが、この句の魅力を生み出すとでも言うべきか。外した作者の外し方も、人が言葉に向き合うときのありようを熟知している。途中からの平仮名表記は、読者に最後まで一気に読ませるためのマジックなのであって、この間に漢字や片仮名を配置したのであれば途中で放り出されてしまう。つまり掲句は最後まですらりと読めるように書かれており、読み終えてから読者が「あれっ」と振り返る構造になっているわけだ。その「あれっ」があるからこそ、なんとも不思議な魅力を覚えることになる。ナンセンスの世界へと人を誘うためには、生半可な技巧ではおぼつかない。『球體感覚』(1959)所収。(清水哲男)




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