August 102004
餡パンの紙袋提げ夏の果
下山光子
季語は「夏の果(はて)」。そろそろ、夏もおしまいだ。朝夕には、いくぶんか涼しい風も吹きはじめた。あれほど暑い暑いと呻いていたくせに、いざ終わりとなると少し淋しい気がする。そんな情感が、さらりと詠まれた句だ。なんといっても「餡パンの紙袋」を提げているのが良い。代わりに同じ食べ物でも、茄子や胡瓜などでは荷も句も重くなりすぎるし、かといって水羊羹や何かの菓子の類では焦点がそちらのほうに傾いてしまう。その点餡パンは、主食というには軽すぎるし、お八つというにははなやぎに欠ける。よほどの餡パン好きででもない限り、食べる楽しみのために買うというよりも、ちょっとお腹がすいた時のために求めておくというものだろう。だから、餡パンの紙袋を提げていても、当人にはいわば何の高揚感もない。いくつかの餡パンをがさっと紙袋に入れてもらい、ただ手にぶらぶらさせて歩いているだけである。その気持ちの高ぶりが無いままに、しかし四辺には秋の気配がなんとなく漂いはじめているのであって、このときに作者はさながら紙袋の軽さで夏の終わりを実感したというところか。深い思い入れではないだけに、逆にあっけなく過ぎていく季節への哀感がじわりと伝わってくる。『茜』(2004)所収。(清水哲男)
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