今年も法師蝉が鳴きはじめた。日中は暑いけれど、季節は確実に秋へと向かっている。




2004年8月5日の句(前日までの二句を含む)

August 0982004

 原爆忌子供が肌を搏ち合ふ音

                           岸田稚魚

日九日は1945年(昭和二十年)に、六日の広島につづいて長崎に原爆が投下された日だ。あの日から五十九年が過ぎた。「長崎忌」あるいは「浦上忌」とも。この句は、原爆のことはもちろん、まだ誰にも戦争全体の記憶が生々しかったころに詠まれている。したがって、原爆忌ともなると、現在のように原爆の惨禍に象徴的に焦点を当てるだけではなくて、他のもろもろの戦争による悲惨にも同時に具体的に思いが至るのは、ごく普通の感覚であった。声高に戦争反対などを言わずとも、国民のほとんどは「二度とごめんだ」と骨身にしみていた。理屈ではなく実感だった。そんな日常のなかの原爆の日、子供らが喧嘩している様子が聞こえている。兄弟喧嘩だろうか、暑い盛りだから双方は裸同然なのだ。お互いの「肌を搏(う)ち会ふ音」がし、作者はこんな日に選りに選って争いごとかと不機嫌になりかけたが、しかし思い直した。戦争という争いごとのもたらした数々の災厄のことを思えば、むしろ戦争を知らない子供たちの他愛無い喧嘩などは、逆に平和の証ではないのか。生きているからこそ喧嘩もできるのだし、喧嘩もできずに逝ってしまった子供たちの無念は如何ばかりだったか……。と頭を垂れて思い直す作者に、「肌を搏ち合ふ音」はむしろ生き生きと輝いて聞こえはじめたにちがいない。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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