夏の高校野球が開幕。甲子園のカレーライスが食べたくなった。美味いんだね、これが。




2004年8月5日の句(前日までの二句を含む)

August 0882004

 大阪に曵き来し影も秋めきぬ

                           加藤楸邨

だ残暑のきびしい折りだが、四辺がどことなく秋らしくなってきた感じを「秋めく」と言う。気詰まりな用事のために出かけてきたのか、それとも体調がすぐれないのだろうか。「曵き来し影」の措辞には、作者があまり元気ではないことが暗示されている。みずからを励ますようにして、やっと「大阪」までやってきたのだ。暑さも暑し。大阪はごちゃごちゃしていて活気のある街だから、余計に暑さが身に沁みたのだろう。が、流れる汗を拭いつつ歩くうちに、ふと目に入った路上の自分の影には、かすかに秋色が滲んでいるように見えたと言うのである。真夏の黒い影とは違って、ほんの少し淡く金色の兆したような色の影がそこにあった。ほとんど一瞬のうちに身の内を走り抜けた感覚を詠んだ句だが、こうして書き留められてみると、このときの作者の疲れたような姿が浮かんでくるし、大阪の街のたたずまいまでもが彷彿としてくるところが見事だ。多少は大阪を知る者として、私には句の抒情性が的確であることがよくわかる。同じ関西でも、京都でもなければ神戸やその他の都市でもない。大阪には大阪に特有な街の表情があり、不意にこのような感傷を呼び起こすところがある。猥雑とも言えるエネルギーに満ちた大阪のような街は、またセンチメンタリズムの宝庫でもあるのだと、いつも思ってきた。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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