20040731today句

July 3172004

 かの映画ではサイレント夏怒濤

                           依田明倫

前には、夏の海がギラギラと展がっている。むろん、激しく打ち寄せる波の音も聞こえてくる。が、作者はその「怒濤(どとう)」を、いつかどこかで見たようなと思い起こし、それが映画の一シーンであったことに気がついた。と同時に、映画の怒濤には音が付いていなかったことも……。このように現実を前にしながら、非現実の映像を重ねてしまうというようなことは、しばしば起きる。私も怒濤を目にするたびに、何故かかつての東映映画のクレジット・タイトルを思い出してしまう。あれも「サイレント」だったような気がするが、ひょっとすると作者もあのタイトルのようだと思ったのかもしれない。あるいはそのままに、昔見たサイレント映画を思い出したと読んでもよい。いずれにしても、現実と映像が自分のなかで交互に行き来する心的現象は、現代ならではのものだ。それが嵩じて、現実とフィクションの世界の区別がつかなくなる可能性も、無きにしも非ずだろう。だから危険だと言って、フィクショナルな表現に規制をかけようとする動きも出てくるわけである。いささか話が先走りすぎたが、作者は「かの映画」の怒濤を思い出したときに、それを見た頃の自分や生活環境などにも、ちらりと心が動いたにちがいない。思わぬときに思わぬところから、人は不意に郷愁に誘われるのでもある。「俳句研究」(2004年8月号)所載。(清水哲男)




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