油蝉はやかましいほど鳴くのに、なぜ蜩は鳴かないのか。我が家近辺の七不思議の一つ。




2004ソスN7ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2872004

 水着の背白日よりも白き娘よ

                           粟津松彩子

ルコム・カウリー(アメリカの詩人、文芸評論家、編集者)著『八十路から眺めれば』(小笠原豊樹訳・草思社)は、老いを考えるうえでなかなかに興味深い本だ。文字通り八十歳を過ぎてから書かれていて、冒頭近くに「老いを告げる肉体からのメッセージ一覧」というリストが載っている。「骨に痛みを感じるとき」「昼下がりに眠気が襲ってきたとき」などに混じって、「美しい女性と街ですれちがっても振り返らなくなったとき」があげられている。つまり、異性への性的な関心が無くなってしまったことを、意識ではなく肉体が告げるときが来るということのようだ。カウリーに言わせれば、私のような六十代などはまだまだ「少年少女」の部類らしいから、こういうことはわからないままに過ごしていられる。「美しい女性」とは認めても、ちらとも肉体が反応しないのはショックなのだろうか、それともそのことにすら驚かなくなるのだろうか。掲句はまさに作者八十路での作句であるが、なんとなくカウリーと同じことを言っているような気がする。「白日よりも白き」背中の娘(こ)に、格別性的な関心を覚えてはいないようだからだ。ただ、水着姿の真っ白い背中がそこに見えた。一瞬目を奪われるが、それだけである。おそらく「白日よりも」という無表情な比喩が、この若い女性から色気を抜き去る方向に作用しているからだろう。『あめつち』(2002)所収。(清水哲男)




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