五輪野球出場選手が決まったようだが、何を基準に選んだのか。変な編成だと思う。




2004N624句(前日までの二句を含む)

June 2462004

 屋根一つ一つに驟雨山を下り

                           廣瀬直人

語は「驟雨(しゅうう)」で夏。「夕立」に分類。山の斜面に、点々と家が建っている。そこへ、頂上の方からにわかに激しい雨が降ってきた。見る間に雨は「山を下り」てきて、さっきまで明るかった風景全体が墨絵の世界のように色を失う。雷も鳴っているだろう。夏の山国ではよく見かける光景だが、雨が一戸も外さず一つ一つの屋根を叩いて下りてきたという措辞は、言い得て妙だ。一見当たり前のような描写だが、このように言い止めることで雨の激しさが表現され、同時に山国の光景が現前され、句に力強さを与えている。山国に育った私としては、この的確さに唸らされた。まさに実感的に、この通りなのである。実感といえば、こうした自然の荒々しさを前にすると、人間というものはお互いに寄り添って生きていることを、いまさらのように感じさせられてしまう。「屋根一つ一つ」の下には、平素はさして付き合いのない人たちもいるし、なかにはムシの好かない奴もいたりする。が、ひとたび激甚の風雨来たれば、そんなことはどうでもよいことに思えてくる。「屋根一つ一つ」を順番に余さず叩く雨そのものが、人が身を寄せ合って生きている光景をあからさまに浮かび上がらせるからだ。驟雨は、短時間で止んでしまう。やがてまた日がパッと射してきた時に、私たちの心が以前にも増して晴れやかになるのは、単に厄介な自然現象が通り過ぎて安堵したということからだけではない。短時間の雨の間に、周囲に具体的に人がいるかいないかには関係なく、私たちのなかには他人に対する親和の心が芽生えているからだと思う。『日の鳥』(1975)所収。(清水哲男)




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