近鉄オリックスの合併話。人の嗜好に火をつけておいてポイと放り出すのが企業也。




2004ソスN6ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1762004

 噴水の背丈を決める会議かな

                           鳥居真里子

語は「噴水」で夏。思わずクスリと笑いかけて、いや待てよ、これは大真面目な会議なんだなと思い直した。噴水の背丈をどれくらいにするかは、設計者の意図もあるだろうが、水不足などの外的条件も考慮しなければならない。会議を開いて、背丈を変更することも現実的にあり得ることだ。でも、なんとなく可笑しい。大の大人が何人も集まって、ああでもないこうでもないと長時間やり合う。傍目にはよほど深刻な問題を討議しているのかと見えるが、中味は何のことはない、噴水の背丈を何センチ縮めるかといった「問題」だった。なあんだ、というわけである。今度噴水の前を通りかかったら、この句を思い出してみたい。きっとじわりと、可笑しさがこみ上げてくるだろう。句の例に限らず、世の中にはどう転んでも、誰のためにもならないような会議が多すぎる。むろん、出席者にとってもだ。それも仕事のうちと割り切れればよいのだが、こんな会議に出るために生まれてきたんじゃねえやと、腹立たしくなる会議は私も何度も経験した。噴水の丈を決める会議のほうが、まだマシというような……。で、いつしか猛烈な会議嫌いになり、よほどの議題でもないかぎり逃げ回っていた時期もあった。俗に会議の多い会社はつぶれると言われたりするが、ある程度は真実を突いている言葉だろう。どうしようどうしようと集まること自体が、既に組織的動脈硬化が起きている証だからだ。が、掲句の舞台は、役所の公園管理課みたいなところだろうか。だったらつぶれる気遣いはないわけで、それだけ余計に始末が悪いと言える。『鼬の姉妹』(2002)所収。(清水哲男)




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