刃物を遠ざける教育は他方で刃物の怖さをも遠ざける。やりきれない事件が続く。




2004ソスN6ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0362004

 えごの花大学生だ放つておけ

                           田中哲也

語は「えごの花」で夏。全国的に分布。ちょうどこの季節くらいに、白い可憐な花をたくさん咲かせる。よくわからないのだが、なんとなく気になってきた句だ。わからないのは、「大学生だ放つておけ」と言っている主体が不明だからである。むろんせんじ詰めれば作者の発語になるわけだけれど、句の上では「えごの花」の言と解すべきなのだろうか。花は高いところで咲いていて、いつも人の動きを見下している。折りから通りかかった若者のグループに、たとえば言い争っているとか道に迷っているらしいとか、何らかのトラブルを抱えている様子が見て取れた。心配顔で見ているうちに、彼らが大学生だとわかってきた。そこで「なあんだ、大学生なら放っておけ」と言い捨てたのだが、この言い方は現代の大学生の世間的な位置を示していて面白い。教養のある若者たちだから、傍が放っておいても自力で何とかするだろう。という信頼感の現われであると同時に、モラトリアム世代の呑気な連中だから、多少は痛い目にあっても知ったことかという軽侮の心理が同居しているからだ。戦前の「学士様ならお嫁にやろか」「末は博士か大臣か」と下世話にもてはやされた学生像とは、その是非は置くとして、大変な変わりようではある。掲句にそのような感慨は含まれていないが、現代の大学生一般の存在感の軽さをよく言い止めているのではなかろうか。「えごの花」の花期は短い。作者はそのうつろいやすさを、大学生像に投影しているのかもしれない。『碍子』(2002)所収。(清水哲男)




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