「梅雨みたいですね」が挨拶代わり。天候だけではなく、世間も鬱陶しいばかり。




2004ソスN5ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1952004

 田植うるは土にすがれるすがたせり

                           栗生純夫

に田植えが終わった地方もあるし、これからのところもある。先日の久留米の宿でローカルニュースを見ていたら、長崎地方の田圃で開かれた「泥んこバレー」の模様を写していた。水を入れた田圃で転んでは起きしてのバレーボールは愉快だが、単に遊びというだけでなく、こうやって田圃を足でかき回しておくと、田植えに絶好の土ができるのだそうだ。いずれにせよ、いまはほとんどが機械植えになっているので、農家の人々ですら、こんなことでもやらないと田圃の土に親しむことはなくなってしまった。手で植えたころの苦しさを思えば、田植え機の登場は本当に画期的かつ革命的な出来事だった。実際、手で植えるのは辛い。私の子供の頃は、この時期になると学校が農繁期休暇に入り、みな田圃にかり出された。イヤだったなあ。暗いうちから起きて、日が昇るころには田圃に入る。あの早朝の水の冷たさといったら、思い出すだに身震いがする。それから日没まで、休憩は昼食時とおやつの時間のみという条件の下で働くのだ。疲れても、適当に切り上げることはできない。というのも、集落のなかでは全戸の田植えの日取りが決まっており、お互いに相互扶助的に人手を出し合って植えていたからである。切り上げて明日にしようと思っても、明日は他家の田植えが待っているというわけだ。午後ともなると、子供のくせに老人のように腰を叩きながらの作業となる。そんな必死のノルマのほんの一角だけを担った体験者からしても、掲句はまことに美しく上手に詠まれてはいるが、作者の傍観性がやはり気になる。かつての土にすがって生きる「すがた」とは、このようなものではない。もっと戦闘的であり策略的であり、もっと雄々しくて、しかし同時に卑屈卑小の極みにもどっぷりと浸かった「すがた」なのであった。宇多喜代子『わたしの名句ノート』(2004)所載。(清水哲男)




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