空路福岡まで。昨年は新幹線で行ったが、さすがにまいった。で、びくびく空路。




2004ソスN5ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1552004

 我鬼窟に百鬼寄る日や夏芭蕉

                           久米三汀

に「芭蕉」といえば秋の季語。「夏芭蕉」なら、歳時記的には「玉巻く芭蕉」のことだろう。初夏、固く巻いたままの新葉が伸び、薄緑の若葉がほぐれてくる。芭蕉の最も美しい季節だ。掲句は我鬼窟(芥川龍之介邸)で行われる句会の案内状に、三汀(作家・久米正雄)が記したものだ。仲間内向けのちょっとした挨拶句だから、調子は軽い。句会の様子を伝えた「文章倶楽部」(大正八年八月号)によると、参加者は主人の龍之介、宗匠格の三汀、室生犀星、滝井孝作、菊池寛、江口渙のほか、谷崎潤一郎の義妹・勢以子や大学生など十数名。まさに「百鬼」だ。それにしてもこれだけの人数が集まれば、冷房装置などない頃だから、暑かったでしょうね。詠んだ句を団扇に書いて、それでパタパタやったらしい。そんな調子だから、取り立てて見るべき句も見当たらない。いわゆる「遊俳」気分の座であった。この句を紹介した本『文人俳句の世界』で、小室善弘が気になることを書きつけている。「これはこれで文人交歓の図としてとがめだてするにも及ばないことだが、同じ時期に「胸中に冬の海ある暗さかな」と凄愴な象徴句を作り得る三汀が、文士仲間の宗匠におさまって、せっかくの素質を調子の低い遊びのなかにうやむやにしてしていく気配が感じられるのは、残念な気がする」。遊びだからといって調子を下げているうちに、いつしか下がりっぱなしになってしまう。その怖さは、たしかにある。本格的な結社の宗匠にだって、現にそういうことは起きている。「遊びだけど、真剣に遊ぼう」と言った辻征夫の言葉を、あらためて思い出した。(清水哲男)




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