明日は久留米行き。その前に仕上げなければならぬ原稿が。気がもめる一日だ。




2004N514句(前日までの二句を含む)

May 1452004

 夏未明音のそくばく遠からぬ

                           野沢節子

の夜明けは早い。この時期でも、もう四時半頃には空が白んでくる。「未明」とはあるが、早朝のそんな時間帯だろう(季語「夏の暁」に分類)。早起きの鳥たちは鳴きはじめ、新聞配達の人の足音もする。一日がはじまりつつあるのだ。「そくばく」は「若干」の意の古語だ。「そこばく」と言ったほうが、思い当たる人は多いだろうか。そして、この「音のそくばく」のなかには、「遠からぬ」それも混じっている。朝食の支度のために起きだした母親の気配は、誰にも懐かしく思い出される身近な音のひとつだ。むろん、作者はまだ布団の中にいて、夢か現かの状態でそれらの音を耳にしている。そういうときには、いまの自分が大人なのか子供なのかというような意識はない。聞こえてくる音も、現実のそれかか昔のそれなのかの区別もない。だから、ふと目覚めた作者の耳には、現実の音と記憶の中の音とがないまぜになって聞こえている。すなわち距離的にも時間的にも「遠からぬ」と詠んだわけで、かつての音もまたいまの音ですら、とても懐かしい響きをもって蘇ってきたと言うのである。うとうととろとろとした心地よい状態のなかで、こみあげてくる懐かしさ。これぞ至福のときと呼んでよいのではあるまいか。残念なことに私は早起きだから、あまりこうした体験はない。たまには、すっかり明るくなるまで寝ていたいとも思うけれど、ついつい起き上がってしまう。遅寝をすると、なんだかソンをしたような気になる。貧乏性なのである。『未明音』(1955)所収。(清水哲男)




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