April 292004
田螺らよ汝を詠みにし茂吉死す
天野莫秋子
季語は「田螺(たにし)」。春、田圃や沼などの水底を這い、田螺の道を作る。ちなみに、斎藤茂吉の命日は二月二十五日。「田螺ら」が、ようやく動きはじめようかという早春の候であった。そんな田螺たちに、いちはやく茂吉の訃報を届けてやっている作者の暖かさが伝わってくる。いや、こうして田螺たちに告げることで、「ついに亡くなられた」と自身に言い聞かせている作者の哀悼の気持ちが滲み出た句だ。告げられた眼前の田螺たちは、春まだ浅い冷たい水の底で、じっとして身じろぎもしなかったろう。茂吉の田螺の歌でよく知られているのは、『赤光』に収められた「とほき世のかりようびんがのわたくし児田螺はぬるき水恋ひにけり」だ。「かりようびんが(迦陵頻伽)」とは雪山または極楽に住む人面の鳥で、田螺はそのかくし児だというのである。不思議な歌だが、何故か心に残る。田螺についての茂吉の言。「田螺は一見みすぼらしい注意を引かない動物であるが、それがまたこの動物の特徴であって、一種ローマンチックな、現代的でないような、ないしはユーモアを含んでいるような気のする動物である」。不思議な印象の田螺だから、かくのごとき不思議な想像歌が自然に飛びだしたと言うべきか。みすぼらしく見えてはいるが、実はとんでもない高貴の出なんだぞと世間に知らしめることで、田螺のために暖かい気を配ってやっている。掲句の作者は、間違いなくこの一首を踏まえて詠んだのだと思う。世の中には、そんな高貴の出自とも知らずに、平気で田螺を食ってしまうう人がいる(笑)。南無阿弥陀仏。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)(清水哲男)
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