March 3032004

 大空に唸れる虻を探しけり

                           松本たかし

語は「虻(あぶ)」で春。虻の名は、羽の唸り音からつけられたという。種類は多いが、代表的なのは花の蜜や花粉を栄養源とする「花虻」と牛馬やときには人の血を吸う「牛虻」だ。こいつに刺されると、かなり痛む。長い間、鈍痛が残ったような記憶がある。けれん味の無い句だ。若い頃にはこの種の句は苦手だったが、やはりトシのせいだろうか、こういう世界にも魅かれるようになってきた。どこかで虻の唸りがするので、どこにいるのかと音のする方向を目で追っている。でも、虻の姿はなかなか認められず、視界には「大空」が入ってくるだけだ。ただ、それだけのこと。しかし作者が、「青空」でもなく「春の空」などでもなくて、ほとんど無色にして悠久な「大空」と言い放ったところに、手柄があるだろう。大空のなかに、作者といっしょに溶け込んでしまうような駘蕩感を覚える。春だなあ。と、ひとり静かに、しかし決して孤独ではない、春ならではの大気のたゆたいを味わえる満足感とでも言おうか。理に落ちず俗に落ちない句境が素晴らしい。というところで、話はいきなり俗に落ちるが、少年時代にはずいぶんと虻に申し訳ない仕打ちをしたものだった。農村で、牛を飼っている家が多かったせいもあって、「大空」に探すどころではなく、この季節になるとたくさんの虻がそこらじゅうに飛んでいた。だから刺された体験もあるのだし、憎々しい存在だったから、我ら悪童連は復讐と称して叩き潰してまわったものだ。そのうちに単に殺すだけでは飽き足らなくなって、誰の発案だったか、油断を見澄ましては生け捕りにする作戦を展開。捕まえた奴の尻に適当な長さの藁しべを突っ込んでは、空に投げ上げるという暴挙に出たのだった。投げ上げると、最初は狂ったように飛び回り、しかしやがて力尽きて落ちてくる。敵機撃墜である。いま思えば、可哀想なことをしたものだと心が疼く。まったくもって、子どもは残酷である。『新俳句歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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