March 2832004

 オメデタウレイコヘサクラホクジヤウス

                           川崎展宏

書きに「卒業生 札幌で挙式」とある。その祝いのために、実際に打った電文だろう。そちらの開花はまだだろうが、桜前線は確実に「ホクジヤウ(北上)」しつつあるからね。それも「レイコ」あなたに向かってと、教え子の新しい門出を祝福している。咲いていない桜を素材にして、しかし間もなくそれを咲かせる自然の力がひたひたと寄せていく状況を配して、祝意を表現してみせたところが見事だ。芸の力と言ってもよい。むろんこのときに、北上している桜前線の動きは作者の新婦に対する気持ちのそれと重なっている。今と違って昔の電報はすべて片仮名表記だったが、下手に今風に平仮名や漢字が混ざっている電文よりも、片仮名だけのほうがかえって清潔感があって、句の中身にふさわしいと思う。ただし、この書き方は作者の特許みたいなもので、第三者には使えないところが難点と言えば難点か(笑)。句集の配列から見て、昭和30年代末ころの作と思われる。そんなに電話も普及していなかったし、電話があっても長距離料金は高価だったので、冠婚葬祭用ばかりではなく、何かというと緊急の用件には電報を使った。郵便局の窓口に行くとみどり色の頼信紙なる用紙がおいてあり、なるべく文字数を少なくして安上がりにすべく、何度も指を折っては電文を思案したものだ。学生ならたいていが親への金の無心だったけれど、一般的に最もひんぱんに利用された用件は親兄弟や親類縁者の病状の悪化を告げるものだったろう。「チチキトク」などというあれである。だから電報が届くと、誰もがどきりとした。とくに夜間に配達されたりすると、開く前に心臓が縮み上がる思いがした。そんな時代は遠く去ったと思っていたら、最近では高利貸し業者が督促のために頻繁に使うのだという。祝儀不祝儀と受け取る側の心持ちが定まっている場合を除いては、いつまでも電報は精神衛生上よろしくないメディアのようである。『葛の葉』(1973)所収。(清水哲男)




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