March 1532004

 下宿屋は下長者町下る春

                           児玉硝子

面を見ているだけで、なんとなく切なくも可笑しく感じられる句だ。ペーソスがある。大学に合格すると、地方出身者が何をおいてもやらねばならぬことは「下宿探し」である。もっとも今では、素人下宿も減ってきたから、アパート探し、マンション探しということになるのかな。いろいろと探し回って、作者が決めた下宿の住所を確認してみたら「下長者町下る」であった。「下」の文字が二つも入っていて、せっかく縁起の良い長者という地名なのだが、下宿の「下」の字も含めると三つになり、なんだか長者がどんどん零落衰退していく町のようではないか。「下る」とあるから、この町があるのは京都だ。御所の南北の真ん中あたりから烏丸通越しに西に延びているのが長者町通りで、同志社大学に通うには便利な地域だろう。住む部屋を探すのに、よほど縁起をかつぐ人でないかぎりは、まず住所表記など気にはかけない。部屋を決めてから住所を教えてもらい、たいていは「あ、そう」なんてものである。ただ京都のように古い地名が生きている街だと、句のように「あ、そう」と簡単に言うには抵抗を覚える場合も出てきてしまう。友人知己に新住居を知らせる手紙を書きながら、やはり「下」ばかり書いていると、もう少しマシな地名のところを選べばよかったと、そんなに切実ではないにしても、イヤになった昔の記憶が書かせた句のような気がする。私の場合は、新入生のときには宇治市「県通り」、二回生からは京都市北区「小山初音町」だった。いずれも良い地名なのだが、ちょっと「初音町」は照れ臭く感じていた。しかも当時の実家の住所は東京都西多摩郡多西村「草花」と言ったから、「草花」から「初音」へと転居したわけで出来過ぎである。「『草花』やて、ウソやろ」と、出来たてほやほやの友人に言われたことがある。彼に悪気はなけれども、「てやんでえ、『長者町』こそ大ウソじゃねえかっ」と言い返してやりたかったけれど、他所者の悲しさで大人しく黙ってたっけ……。『青葉同心』(2004)所収。(清水哲男)




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