March 0232004

 宰相のごとき声だす恋の猫

                           福田甲子雄

語は「恋の猫(猫の恋)」で春。発情して狂おしく鳴く猫の声を聞いているうちに、「待てよ、誰かの声に似てるな」と思い、思い当たったのが時の「宰相(さいしょう)」の声だった。今度は意識して耳傾けてみると、たしかに似ている。似すぎている。我ながら見事な発見に大満足して、早速書き留めた一句である。嘱目吟ならぬ嘱耳吟とでも言うべきか。作句年代は1980年(昭和55年)だ。で、当時の宰相は大平正芳総理大臣。発言の時に「あ〜、う〜、……」を連発する独特の訥弁口調は、政策云々とは別次元で、多くの人に人気があった。人気という点から言うと、その風貌とともに、戦後では吉田茂に次ぐ人物だったと思う。この句を知ったのは四、五年ほど前のことで、猫にもよるだろうが、なんとか大平的恋猫の声を私も聞いて確かめてみたいと思い、春が来るたびに期待していたのだが、今日まで果たせていない。数年前からどういうわけか、大平的も何も、我が集合住宅の近辺から猫が一匹もいなくなってしまったからである。猫を飼うことは禁止なので飼い猫がいないのは当然としても、しかしそれまではかなりの数の野良猫たちが跋扈しており、交尾期にはやかましいほど鳴いていたというのに、である。なかにはナツいていると、こっちが勝手に思っていた奴もいた。近づくと、ごろにゃんとばかりに仰向けになったものだ。それが、みんないっせいに、どこへ消えちゃったんだろうか。とても気になる。だんだん句から離れそうになってきたが、掲句のようなことが詠めるのも、やはり俳句様式ならではのことと言えよう。俳句は時代のスナップ写真としても機能する。このことについては、既に何度か書いた。『白根山麓』(1982)所収。(清水哲男)




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