February 2322004

 寿限無寿限無子の名貰ひに日永寺

                           櫛原希伊子

際に「日永寺」という名の寺は千葉県にあるけれど、ここでは春の季語「日永」で切って読み、春の寺のおだやかなたたずまいを想起すべきだろう。「寿限無」はむろん、落語でお馴染みの長い名前だ。はじめて男の子を授かった長屋の八五郎が、何かめでたい名前をつけてほしいと坊さんに相談したところ、出てきた名前がこれだった。「じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれず かいじゃりすいぎょのすいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ くうねるところに すむところ やぶらこうじのぶらこうじ ぱいぽぱいぽ ぱいぽのしゅーりんがん しゅーりんがんの ぐーりんだい ぐーりんだいのぽんぽこぴーの ぽんぽこなの ちょうきゅうめいのちょうすけ」。最初の「じゅげむ(寿限無)」からして、寿(よわい)限り無しと、すこぶるめでたい。落語の登場人物だからまったくのフィクションかと思っていたら、実在の人物と聞いて驚いた。それが証拠に、戦中まで東京四谷の法眼寺に彼の墓があったそうだ。なにしろ馬鹿長い名前なので、高さは33メートルもあり、天気が良ければ上野あたりからでも見えたという。惜しいことには空襲で真ん中あたりが破損し、折れたら危険だというので撤去されてしまった。姓は鈴木で神田の生まれ、長じて大工職、1897年(明治30年)に98歳で亡くなっている。寿限無とまではいかなかったが、昔にすればかなりの長寿だ。こんな墓を建てたほうも建てたほうだとも思うが、まるでそれこそ落語みたいな呑気さを地でいったところに心がなごむ。こんな話を思い合わせて掲句に帰ると、春風駘蕩、ギスギスした世の中をしばし忘れさせてくれるのである。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)




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