February 2222004

 檪原遠足の列散りて赤し

                           藤田湘子

語は「遠足」で春。「檪(くぬぎ)」は小楢(こなら)などとともに、いわゆる雑木林を形成する。掲句の場合の「檪原」は、遠足で来るのだから、たとえば東京・井の頭公園に見られるように下道がつけられ、よく手入れされた公園の広場を思い起こせばよいだろう。芽吹きははじまっているが、檪の落葉は早春までつづくので、広場は全体としてまだ茶色っぽい感じである。良く晴れていると、高い木々の枝を透かして落葉の上にも日差しが降り注ぐ。そんなひとときの自由時間だ。子供たちは思い思いの方向に散ってゆき、茶色っぽい広場には点々と「赤」がまき散らされた。最近の遠足だと、子供らはみな交通安全用の黄色い帽子をかぶっているので、服装の赤よりも目立つけれど、句は半世紀近い前の作である。女の子たちの服やリボンや水筒などの赤が、目に沁みた時代であった。檪も子供たちも、これからぐんぐんと育っていくのだ。敗戦後の混乱期にあっては、たかが遠足風景でも、目撃した大人たちは明日への希望につながる感慨を覚えたにちがいない。当時の作者の境遇については、少し以前の句「風花もひとたびは寧し一間得し」などから想像できる。そして、余談。私が通った田舎の小学校にも遠足はあった。だが、あまり楽しい思い出はない。行く先が、近所の山ばかりだったからだ。友人曰く。「山に住んどるモンが、山へ行って、どねえせえっちゅうんじゃ」。ま、その日は勉強しないでもすむので、それだけはみんな楽しかったのかな。『途上』(1955)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます