February 2122004

 酒甕に凭りて見送る帰雁かな

                           籾山庭後

語は「帰雁(きがん)・帰る雁」で春。暖かくなって、北の国へと帰りつつある雁のこと。列(棹)をなして、去ってゆく。作者は大きな「酒甕(さかがめ)に」凭(よ)って(もたれて)、はるか上空をゆく彼らを見送っている。時は移ろい、もうこんな季節になったのかという思いが哀感を伴って伝わってくる。もたれている酒甕のなかでは、静かに酒が生長し熟成しつつあるだろう。やがて、ほどよい香気を放つまろやかな味の酒ができあがるのだ。去るものと、とどまって熟するもの。このいずれもが同時に時の経過をあらわしており、動と静の対比を視覚といわば触覚を通じて、一句に収め得たところに妙味が出た。やや大袈裟に言えば、この世の無常観を明晰な構図のなかに定着させることに成功している。いわゆる春愁の感の吐露であるが、誰の春愁にせよ、そのどこかでは必ず無常を感得する心の動きとつながっているのだと思う。先日見に出かけた『ミレーとバルビゾン派』展に、ミレーの「雁」という絵があった。棹をなして渡って行く雁たちを、二人の女性が見上げている構図だ。私などが見ると、掲句と同様な寂寥感を覚えてしまうのだが、描いたミレーはどんな気持ちからだったのだろうか。と、しばし絵の前で考えてしまった。そして、おそらくこの絵には、日本人が感じるような無常観は存在せず、空の雁は渡りの季節をあらわしているだけであり、むしろ主題は女ちの束の間の安息にあるのだろうと、無理矢理に結論づけて絵を離れた。が、西洋の絵に雁が描かれるのは珍しい。ミレーの主題については、もう少し考えてみる必要がありそうだ。『江戸庵句集』(1916)所収。(清水哲男)




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