February 2022004

 遺失物係の窓のヒヤシンス

                           夏井いつき

語は「ヒヤシンス」で春。忘れたのか、落してしまったのか。無くしたものを探してもらうために、「遺失物係」の窓口に届け出に行った。と、殺風景な室内とはおよそ不釣り合いなヒヤシンスが生けられていた。なんと風流な……。心なごんだ一瞬だ。自分が無くしてしまったものと、自分が思ってもみなかったものの存在との取り合わせが面白い。失せ物が出てくるという保証は何もないけれど、このヒヤシンスによって、作者はなんとなく明るい期待を持てたことだろう。作者の遺失物も、思いがけないところに存在しているのは確かなのだから。忘れ物といえば、いまだに冷汗ものの大失敗を思い出す。学生時代に、めったに乗ったことのないタクシーに乗った興奮からか、同人誌のために集めた仲間の原稿の入った紙袋を忘れて降りてしまった。はっと気がついたときには、タクシーは既に走り去っており、どこの会社のタクシーかもわからない。むろん、ナンバーなんて覚えているわけもない。真っ青になった。金で買い戻せるものならばともかく、みんなの苦労の結晶である生原稿である。謝ったとて、それですむ問題ではない。どうしようか。といっても名案はなく、下宿の電話を借りて、電話帳を頼りに片端からタクシー会社に問いあわせるしかなかった。仲間には伏せたまま、食事もしないままで下宿に待機すること一日。一社から電話があり、それらしき紙袋を保管しているので確認に来いという。そのときの嬉しかったこと。遺失物係の窓口に、すっ飛んで行ったのはもちろんである。係員が無造作に出してくれた紙袋が、本当に輝いて見えたっけ。助かった。あまりの嬉しさに、窓口の様子などは何一つ覚えていない。そんなわけで、掲句の作者が遺失物を受け取りに行ったのではなく、探してもらうために行ったことがすぐにわかった。『伊月集』(1999)所収。(清水哲男)




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