February 0222004

 全人類を罵倒し赤き毛皮行く

                           柴田千晶

語は「毛皮」で冬。「赤き毛皮」だから、着ているのは若い女性だろう。この女性の心中で、何がどのように鬱屈しているのかはわからない。わからないが、鬱屈が高まって、ついに「全人類を罵倒」するにいたった激情はわかるような気がする。昨今の政治家や企業家たちの愚かさや、また私を含めて、彼らの愚かさに結果としては従順に付き従っている庶民の愚かさなどを省みるとき、いまや人類は自己疎外の極に立っていると言っても過言ではないと思われる。世界中の人間は、すでにまったく「物」と化しているのではあるまいか。ここで激情を噴出させない人間のほうが、本当はどうかしているのである。「赤き毛皮」の女性の呪詛は、しごく真っ当なのだ。この女性は作者その人ではないだろうけれど、作者の気持ちを分かち持っており、作者の分身だと見た。それも具体的現実的に目の前にいる人物ではなく、現代にあらまほしき人物として作者の想像世界を颯爽と歩いているのだとも……。下世話なことを言うようだが、このときに罵倒している主体が若い女性であるから、句になった。これが若い男やおじさん、おばさんだっていっこうに構わない理屈にはなるが、読者にこの中身をうまく伝えるに際しては、やはり「赤き毛皮」(のコート)の訴求力に求めるのがいちばんだろう。再び下世話に言えば、「赤き毛皮」は激情によく通じ、とにかく絵になるのだ。格好が良いのだ。というと浅薄に聞こえるかもしれないが、コミュニケーションにおける格好の良さは、とても大事な要素だと、私はいつも思ってきた。俳誌「街」(No.45・2004年2月)所載。(清水哲男)




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