January 1812004

 女客帰りしあとの冬座敷

                           志摩芳次郎

語は「冬座敷」。明るい夏座敷とは対照的で、障子や襖を閉めきってある。句の場合は家族が起居する部屋ではなく、いわゆる客間だ。昔であれば火鉢に鉄瓶の湯をたぎらせたりして、冬の座敷ならではの風情を演出した。我が家にはそんな余裕はないけれど、少年時代に一時厄介になった祖父の家には、ちゃんと来客用の座敷があった。客のいないとき、気まぐれに入り込んだこともあるけれど、子供には純日本間の良さなどはわかりようもなく、ただガランとしていてつまらない空間としか思えなかった。部屋はやはり、いつも誰かがいたり、いた気配があってこそ親しめる空間なのだろう。さて、掲句。「女客」は自分の客ではなく、母親か妻を訪れた女性だと思う。自分の客であれば、女客などと他人行儀な言い方はしないはずだ。だから作者は、その客がどこの誰と聞かされてはいても、挨拶もしていないのだから、よくは知らないのである。で、「帰りしあと」に何か必要があって、座敷に入った。男の客が帰ったあととは、部屋の雰囲気がずいぶんと違う。煙草の煙もなく、もてなしの茶菓にもほとんど手がつけられていなかったりする。唯一そこに家族とは違う人がいたのだという痕跡は、香水の残り香であって、それがつい最前までの座敷の華やぎを思わせる。べつに淋しいということでもないけれど、華やぎを喪失した部屋のたたずまいに、作者は軽い失望感のようなものを覚えているのである。しばらく、意味もなく部屋を眺め回したりする。「それがどうしたんだ」と言われても答えにくいけれど、冬座敷はこのように、漠然たる人恋しさを感じさせる空間でもあるようだ。『俳句歳時記・冬之部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)




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