January 1012004

 餅を食ふ三十三年前の父

                           吉田汀史

語は「餅」で冬。なぜ「三十三年前」なのだろうか。前書はないのだが、何か理由があるはずだと、句集の作句年代を見てみた。1977年(昭和五十二年)の冬に詠まれている。この年の三十三年前は1944年(昭和十九年)であり、すなわち敗戦の前年にあたる。この年、作者は十三歳。冬なので、まだ国民学校(小学校)6年生だったろう。こう見取り図を描いてみると、黙々と「餅を食ふ」父親像が浮かんでくる。作者がその姿をよく覚えているのは、食料難の時代だったからだ。配給の糯米で搗いたのか、あるいは他家よりのお裾分けなのか。比較的豊かな稲作農家であれば話は別だが、普通の家庭であれば潤沢に餅があったとは考えにくい。少しの餅を、家族で少しずつ分け合って食べた。それを少しも嬉しそうにではなく、むしろ不機嫌そうに食べていた父親。いまにして思えば、父親の不機嫌の理由は理解できるが、当時は何もわからなかった……。いま作者も餅を食べていて、ふっと当時のことを思い出し、家族を抱えて前途暗澹、さぞや苦しかったであろう父親の胸中を思っているのである。知らず知らずのうちに、作者もまたそのときの父親の顔つきで「餅を」食っていたのだろうなと想像される。あのころの父親は、そしてもちろん母親もまた、まだ若い時代を、ただ苦労するためにだけ生まれてきたようなものだと思う。憎んでも憎みたりないのは戦争である。『浄瑠璃』(1988)所収。(清水哲男)




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