January 0512004

 皴のない黒カーボン紙事務始

                           河原芦月

ういえば、こんな時代が長かった。現在のようなコピー機がなかったころには、複写のためには「カーボン紙」を何枚か白紙の間に挟み、筆圧をかけて文字などを書いていくしかなかった。使っていくうちに、だんだん複写の鮮明度が落ちてくる。それでも経費節減で、皴だらけになっても、すり切れる寸前まで大切に使ったものだ。さて、今日は新年の「事務始(仕事始)」。作者は皴ひとつない真新しいカーボン紙を広げて、清々しい気持ちになっている。事務職の現場の人でないと、カーボン紙に初春の喜びを感じる気持ちはわかるまい。あれはしかし、手が汚れて、取り扱いが厄介だった。このカーボン紙を職場から追放するきっかけになったのは、1955年(昭和30年)に登場したジアゾ感光紙だ。複写したい原稿を重ねて、上から光を当てると原稿の文字や図形で光が遮られ、複写できるというもの。その後は現在の電子写真複写機が普及し、さらにはパソコンの導入もあって、カーボン紙はすっかり姿を消してしまった。ただし、ノーカーボン紙というかたちでは生き残っている。「ノー」とうたってはいるけれど、複写の原理としては昔のカーボン紙と変わらないものだ。さらに生き残りの影を探せば、パソコンのメーラーの宛先欄に「CC」という項目がある。同一のメールを何人かに送るときに便利だが、あれが「Carbon Copy」の略であることを知らない人は結構多い。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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