December 28122003

 電線の密にこの空年の暮

                           田中裕明

年も暮れてゆく。ぼんやりとでもそんな感慨を持つとき、私たちはたいてい空を見上げる。どうして空を見るのだろう。こういうときに、俯いて地べたを見る人はあまりいないのではなかろうか。不思議といえば不思議な習性だ。誰に教わったわけでもないと思うのだが、といって生得の気質からでもなさそうで、やはり知らぬうちに摺り込まれた後天的な何かからなのだろう。我が家の近所にも、電柱と電線が多い。普段でも、カラスがとまって鳴いていたりすると見上げることはしばしばだ。でも、そんなときには「電線の密」には気がつかない。というか、気にならない。おそらく、作者も同じような気持ちなのだろう。「年の暮」の感慨を持ったときに、はじめてのように見えたというわけだ。ああ、こんなにも電線が混みあっていたのか……。そこであらためて、まじまじと見てしまう。句の世界を敷衍して言えば、私たちが何かを見るというときには、自分の心持ちによって、見えるものと見えないものとがあるということになる。正確には、見えていても気がつかない物もあるのである。むろん、事は電線には限らない。今日あたり、日頃は気にも止めていない何かを、まじまじと眺める人も多いだろう。年末も年始も、物理的には昨日に変わらぬ今日の連続でしかない。が、年を区切るという人間の文化は、このように物の見方を変えてしまう力も持つ。面白いものである。『先生から手紙』(2002)所収。(清水哲男)




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