December 16122003

 一人身の心安さよ年の暮

                           小津安二郎

のとき(1932年)、小津安二郎満三十歳。『生れてはみたけれど』で映画界最高の名誉であったキネマ旬報ベストテン第一位に輝き、将来を大いに嘱望される監督になっていた。しかも「一人身」とあっては、家庭のあれこれを心配する必要もなく、年末なんぞも呑気なもんだ。我が世の春、順風満帆なり。そんな心持ちの句とも読めるけれど、実は自嘲の句である。いまでこそ三十歳独身などはむしろ当たり前くらいに受け取られるが、昔は違った。変人か能無しと思われても、仕方がなかった。私の三十歳のときですら、まだ同じような世間の目があったほどだ。生涯独身であった小津とても、人並みに異性には関心があった。同じ年の句に「わが恋もしのぶるまゝに老いにけり」があるから、片想いの女性が存在したようだ。が、自身日記に書きつけているように、どうも情熱一筋になれない性格であったらしい。すぐに、醒めた目が起き上がってきてしまう。まことに恋愛には不向きで厄介な気質である。そういえば小津映画は、いつもどこかで画面が醒めている。熱中して乗りに乗って撮ったのではなく、あらかじめ用意した緻密な設計図にしたがって撮った感じを受ける。でも実際には設計図にしたがったわけではなくて、天性の醒めた目に忠実にしたがった結果が独特の世界になったと見るべきだろう。あれが彼の乗っている姿なのだ。そんな醒めた目で自分を見つめるときに、落ち着き先は多く自嘲の沼である。年末なんてどうってことない、気楽なものさ。うそぶく醒めた目は、しかし家庭のために忙しく走り回っている人々を羨ましがっているのだ。都築政昭『ココロニモナキウタヲヨミテ』(2000)所載。(清水哲男)




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