December 13122003

 白に帰す雪合戦の逸れ玉も

                           泉田秋硯

近はあまり降らなくなったようだが、昔は山口県でも山陰側ではよく雪が降り、よくつもった。大雪で、学校が休みになることもあった。元日の学校の式典に雪を踏んで登校した覚えがあるから、この時期くらいから降り始めていたのではなかろうか。作者は島根県・松江市の出身だ。同じ山陰である。友だち同士での遊びとは別に、体操の時間にもさせられたと自註にあるが、これも同じ。いや、体操の時間以外にも、時間割が急に変更されて校庭に出たこともあったっけ。小学生のときに私はずうっと学級委員長をやらされていて、教師によく聞かれたから覚えている。「清水よ、次の時間は勉強がいいか、それとも雪合戦か」。すると、一瞬教室がしーんとなる。いまの子供ならワーワー言うところだろうが、当時の先生には権威があった。怖かった。教室で騒ぐなどもってのほかと言い含められていたから、勝手に発言しようものなら、せっかくの雪合戦がおじゃんになってしまう。しーんとしたなかで、みんなの期待が私に集まる。実は、私の本音は勉強のほうがよかったのだ。でも、勉強が好きだったわけじゃない。あんな寒いところは、往復二時間の通学路だけでたくさんだと思っていたからだ。といって、みんなが雪合戦をしたいというよりも、勉強をしたくない気持ちのほうが強いのもわかっていたから、いつも「雪合戦のほうがいいです」と答えざるを得なかった。思い返すに、あのころの教師が学級代表である私に時間割変更の同意を求めたのは、子供の意見を尊重したという言質を取っておく必要があったからに違いない。やたらと民主主義が叫ばれ、振り回された時代であった。雪合戦の「逸れ玉」は、落ちるとすぐに周囲の雪と見分けがつかなくなる。作者は、往時茫々の感をその様子に重ねている。私はそれにもう一つ、いつしかどこかに逸れてしまった戦後民主主義なる雪玉も加えておきたいと思う。自解100句選『泉田秋硯集』(2002)所収。(清水哲男)




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