December 08122003

 軍艦と沈んでゐたる海鼠かな

                           吉田汀史

語は「海鼠(なまこ)」で冬。十二月八日と聞いて、なんらかの感慨を覚える人も少なくなってきた。かつての開戦の日だ。私の世代はまだ幼かったので、実感的に思い出せるのは七十代以上の人たちだろう。句は直接この日を詠んだものではないが、戦争の悲惨を静かに告発している意味で挙げておきたい。海深く沈没させられた軍艦の周辺に、物言わぬ海鼠が寄り添うように「沈んで」いる。多くの海鼠は陸地に近く棲息するから、句の海鼠は死んでいるのだろう。それはさながら、軍艦と運命をともにした兵隊たちの精霊のようでもあろうか。地上の人間からはとっくに忘れ去られた闇の世界に、いまなおゆらめく恨みをのんだ霊魂か。想像するだに、あまりにもいたましい情景だ。句で思い出されたのは、開戦後二年目(1943年)の今日の日付で封切られた映画『海軍』(田坂具隆監督・松竹)である。十数年前に、ビデオで見た。海軍報道部の企画で作られた映画だから、完全な国威昂揚を目的とした作品だ。鹿児島の雑貨屋の息子が家業のことを気にしつつも、お国のためにと海軍兵学校に進学する。無事卒業していまや中尉となった主人公は、十二月八日のこの日、特殊潜航艇に乗り組み、真珠湾近くの深海に身を潜めていた。作戦どおりにやがて静かに艇を浮上させ、潜望鏡で覗いた真珠湾には、空からの奇襲の被害を免れた敵艦の姿があった。ここで映画は終わる。いや、本当はこれから彼が華々しい戦果をあげるシーンがつづくのだが、戦後に米軍がこの部分のフィルムを没収して持ち帰り、行方不明というのが真相らしい。しかしここで終わっているほうが、むろん海軍情報部の意図には反しているけれど、戦争の悲惨を訴えるがごとき余韻が残る。史実はともあれ、奮戦の甲斐もなく潜航艇が大海の藻くずと化すシーンも、十分に暗示されていると思えるからだ。そこで私のなかでは、映画と掲句とが結びついた。勝手な連想でしかないことは承知だが、しばしば人のイマジネーションはこのように働く。加えて俳句の様式自体が、読者の自由な連想を喚起する装置として機能する以上、勝手な連想の居心地もよいというものだろう。『一切』(2002)所収。(清水哲男)




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