December 07122003

 福助のお辞儀は永遠に雪がふる

                           鳥居真里子

しかに「福助」は、いつもお辞儀の姿勢でいる。多くの人が福助を知っているのは、人形そのものとしてよりも、関西の足袋屋から出発した下着メーカーの商標としてだろう。だから作者が福助を見ていて、(足袋から)雪を連想したのは心の自然の動きである。句はアダモのシャンソン「雪がふる」にも似て、私たちの漠然とした郷愁を誘う語り口だ。静かに降る雪を見ていると「永遠に」ふりつづけるようであり、目の当たりにしている福助のお辞儀も、また変わることなく永遠に繰り返されていくことだろう。このときに、読者は雑念からしばし解放され、真っ白な無音の世界へと誘われてゆく。福助といういわば俗っぽいキャラクターが、かえって静謐な時間を際立たせているところに注目。ところで、福助とはいったい何者なのだろうか。むろん足袋屋さんが作ったのではなく、江戸は吉宗時代からのキャラクターらしい。頭が大きく背の低い異形だが、実は大変な幸運をもたらす人物として創出されている。人は見かけによらぬもの。そうした教訓を含んでもいるので、あやかろうとする人々にも、濡れ手で粟のような後ろめたさがなかったと思われる。荒俣宏によれば彼は子供なのだそうだが、一方では女房子供のいるれっきとした大人だとする説もある。他にちゃんと愛人もいて、その名が「お多福」。ついでに母親の名が「おかめ」ときては、眉に唾をつけるよりも前に笑ってしまう。ちなみに、姓は「叶(かのう)」だそうな。願いが「かのう」というわけか。それからこれは本当の話だが、今年の梅雨のころに、福助が消えて無くなるかもしれない出来事があった。「福助」株式会社が、大阪地方裁判所に民事再生の適用を申請したからだ。商標が消えたからといって掲句の魅力に影響はないけれど、やっぱり消えるよりは存在していたほうがよい。ここで、ちらっと福助の動くお辞儀が見られます。『鼬の姉妹』(2002)所収。(清水哲男)




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