October 30102003

 秋の夜の漫才消えて拍手消ゆ

                           西東三鬼

後5年目、昭和二十五年(1950年)の作。まだまだ娯楽の乏しい時代だった。作者はラジオで「漫才」を楽しんでいたのだが、それも終わってしまい、拍手もふっと消えていった。この一瞬の寂しさは、ある程度の年齢に達した人でないと理解できないだろう。当時、むろんテレビはないし、ラジオもNHK一局である。終わったからといって、いまのように他局のお笑い番組を探すわけにはいかない。終わったら、それっきりだ。もう少し笑っていたかったのにと、作者はしばしラジオを見つめている。夜の長い季節ならではの、それも当時ならではの哀感だ。このように、俳句はしばしばスナップショット的に、庶民の日常生活の断片を記録しつづけてきた。三鬼句のなかでは目立たない作品ながら、その意味では珍重に値する一句だ。まったくの憶測でしかないのだけれど、このときに三鬼が聞いていた番組は「上方演芸会」だったのではなかろうか。昭和二十四年にはじまったこの番組は、新作台本と公開録音方式をベースにした構成で人気を獲得し、途中で何度か番組名は変わったが、また元の「上方演芸会」に名を戻して現在もつづいている(NHK第1/毎週金曜日21:30〜21:55)。さきごろ亡くなった夢路いとしと喜味こいしの兄弟漫才が全国的に名を馳せたのも、この番組のおかげと言ってもよいくらいだ。折しも彼らの番組デビューは上掲の三鬼句と同じ年であり、ひょっとすると三鬼が聞いていたのは新進気鋭の「いとしこいし」コンビだったのかもしれない。そう想像すると、いとしの死去のこともあり、そぞろ秋風が身にしみる思いになる。『西東三鬼句集』(2003・芸林21世紀文庫)所収。(清水哲男)




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