October 17102003

 もう逢わぬ距りは花野にも似て

                           澁谷 道

語は「花野(はなの)」で秋。秋の草花の咲き乱れる野のこと。それも、広々とした高原や原野などの自然の野を言う。いかにも文芸的な言葉と言おうか、詩語と言おうか、昔でも口語としては使われなかったのではなかろうか。おそらくは、和歌から発した雅語的な書き言葉だろう。そう思ってきたから、私など無粋者には使いにくい季語の一つだ。「村雨の晴るる日影に秋草の花野の露や染めてほすらむ」(大江貞重・1312年『玉葉集』)。また「距り」は、「きょり」ではなく「へだたり」と読ませるのだろう。このあたりも和歌的な句の感じがするけれど、全体的にも和歌的な雰囲気を湛えた発想だ。片思いの句。恋しいが、逢えば逢うほどつらくなる。そこで「もう逢わぬ」と固く思い決めてはみたものの、やはり後ろ髪を引かれるような気持ちが残る。思い決めてみると、相手とのへだたりは無限に遠くなるはずが、なお「花野にも似て」、すぐにでも引き返せそうなそうでないような曖昧な距離として感じられると言うのだ。広い野に咲く花々は、作者の思慕の念の象徴とも見え、恋の成就ののちの楽しかるべき幸福な時間のそれとも映る。しかしいまそこには、寂しい秋の風が吹き渡っているのだ。「花野にも似て」の連用止めは極めて和歌的で、ここに作者の秋風に揺れ動く花のような寂しさが込められている。女性ならではの美しくも切ない句だと読めた。『縷紅集』(1983)所収。(清水哲男)




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