October 05102003

 足場から見えたる菊と煙かな

                           永末恵子

ういう句は好きですね。高い「足場」に登って見渡したら「菊と煙」とが見えた。ただそれだけのことながら、よく晴れた秋の日の空気が気持ち良く伝わってくる。工事現場の足場だろうか。ただし、登っているのは作者ではない。作者は、登って仕事をしている人を下から見上げている。高いところに登れば、地面にいては見られないいろいろなものが一望できるだろう。あの人には、いま遠くに何が見えているのか。と、ちらりと想像したときに、作者は瞬間的に「菊と煙」にちがいないと思ったのだ。そうであれば素敵だなと、願ったと言ってもよい。菊と煙とは何の関係もないけれど、理屈をつければ菊は秋を代表する花だし、立ち昇るひとすじの煙ははかなげで秋思の感覚につながって見える。でも、こんな理屈は作者の意にはそぐわないだろう。作者は、もっと意識的に感覚的である。だから読者が感心すべきは、見えているはずのいろいろなものから、あえて菊と煙だけを取りあわせて選択したセンスに対してだ。ナンセンスと言えばナンセンス。しかし、このナンセンスは作者のセンスの良さを明瞭に示している。試みに、菊と煙を別のものに置き換えてみれば、このことがよくわかる。むろん私はやってみたけれど、秋晴れの雰囲気を出すとなると、「菊と煙」以上のイメージを生むことは非常に難しい。ただ工事現場を通りかかっただけなのに、こんなふうに想像をめぐらすことのできるセンスは素晴らしいというしかない。羨ましいかぎりだ。もう一句。「秋半ば双子の一人靴をはく」。いいでしょ、このセンスも。『ゆらのとを』(2003)所収。(清水哲男)




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