September 2592003

 このごろの蝗見たくて田を回る

                           小島 健

語は「蝗(いなご)」で秋。この季節になると、こんな気になるときがある。でも、元来が出不精なので一度も実行したことはない。さすがに、俳人はフットワークがいいなあ。普通、わざわざ蝗を見に行ったりはしないだろうけれど、俳人となれば実作の上で、こうした小さなことの積み重ねが物を言う機会があるのだと思う。で、実際はどうだったのだろうか。「このごろの蝗」を見ることができたのだろうか。「田を回る」とあるから、かなり見て回ったらしいが、収穫は乏しかったように受け取れる。環境的に、さすがに元気者の蝗も育ちにくくなっているのだろう。私の子供のころには、蝗は常に向こうからやって来た。通学のあぜ道などでは、いっせいに飛び立った蝗たちが頬にぶつかってきたりして、「痛てっ」てなものだった。まさに傍若無人とは、あのことだ。稲作農家にとっては一大天敵であった彼らも、しかし正面から見てみると、なかなかに愛嬌があって憎めない顔立ちをしていた。そんな思い出があるから掲句に惹かれたわけで、わざわざ見に行った作者の心持ちにも素直に同感できる。ところで世の中には、この蝗を焼いたりして平気で食う人がいる。就職して東京に出てきてから目撃したのだが、思わず目を覆いたくなった。あの愛嬌のある顔を見たことがある人ならば、とてもそんな残酷な真似はできないはずなのだ。以降、たまに飲み屋で出されたこともあるが、ただちに目の前から下げてもらってきた。「美味いのに……」と訝しげな顔をされると、「幼友達を食うわけにはいかない」と答えてきた。「俳句研究」(2003年10月号)所載。(清水哲男)




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