September 1292003

 鬼の子に虚子一行の立ちどまる

                           岩永佐保

語は「鬼の子」で秋。蓑虫(みのむし)のこと。むろん、想像句だ。吟行だろうか。何でもよろしいが、道ばたで鬼の子を見つけた虚子が「ほお……」と立ちどまると、従っていた弟子たちも同じように立ちどまり、みんなでしばし眺め入っている図である。大の大人の何人もが、いかにも感に堪えたように、ぶら下がったちっぽけな虫を見ながら同じ顔つきをしているのかと想像すると、可笑しさが込み上げてくる。虚子やその一門に対する皮肉か、あるいは諧謔か。表面的に読めばそういうことにもなろうが、私はこれを一つの虚子論であると読んでおきたい。読んだとたんに「あっ」と思った。この「一行」こそが虚子その人なのだと、勝手に合点していた。こう言われてみれば、虚子という俳人はもちろん一人の人間でしかないのだけれど、俳人格としてはいつだって個人ではなく「虚子一行」だったような気がする。初期の句はともかく、大結社「ホトトギス」を率いた彼の句の署名に「虚子」とはあっても、ほとんどが「虚子一行」の「一行」が省略されていると読むべきではあるまいか、と。すなわち、虚子の発想がいつもどこかで個的な衝迫力に欠けているのは、逆に言えばいつもどこかで幾分おおらかであるのは、虚子の個がいつもどこかで「一行」だったからなのではあるまいか。「蓑虫の父よと鳴きて母も無し」は虚子の名句として知られるが、主観性の濃い句にもかかわらず、虚子自身の内面性は希薄だ。つまり「一行」としての発想がそうさせているのではないのか。揚句の作者には、たぶんこの句のことが念頭にあっただろう。虚子が虚子たる所以は、実はこのように常に「一行」的な存在にあったと言いたいのではあるまいか。『丹青』(2003)所収。(清水哲男)




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