August 1282003

 西日中電車のどこか掴みて居り

                           石田波郷

語は「西日」で夏。敗戦直後に詠まれた句だ。「電車」は路面電車ではあるまいか。だまりこくっている満員の乗客。そして窓外をのろのろと流れていくのは、一面の焦土と化した東京の光景だ。西日は容赦なくかっと照りつけ、車内にも射し込んでくる。むろん冷房装置などあるわけもないから、頭の中が白くなるような暑さだ。吊り革か、他の部分か。「電車のどこか掴(つか)みて居り」には、そんな暑さから来る空漠感に加えて、明日の生活へのひとかけらの希望もない心の荒廃感が重ね合わされている。とにかく、何かどこかを掴んで生きていかなければ……。戦後の復興は、こうした庶民の文字通りに必死の奮闘によってなされた。そこにはまず、自分さえよければいいというエゴイズムが当然に働いたであろう。食うため生きるためには、他人への迷惑やら裏切りやら、さらには法律もへったくれもあるものかと、がむしゃらだった。誰も彼もが栄養失調で、目ばかりがぎらぎらしていた。掲句の電車の客も、そういう人ばかりである。このことを後の世代は庶民の逞しさと総括したりするけれど、一言で逞しさと言うには、あまりにも哀しすぎるエネルギーではないか。この筆舌に尽くしがたい国民的な辛酸の拠って来たる所以は、言うまでもなく戦争だ。往時のどんなに「逞しい」エゴイストでも、二度と戦争はご免だと骨身に沁みていたはずだ。理屈ではない。骨身が感じていたのである。あれから半世紀余を閲したいま、この国は再び公然と戦争や軍隊を口にしはじめている。情けなくて、涙も出やしない。これからの若い日本人は、それこそ何を掴んで生きてゆくのだろうか。『雨覆』(1948)所収。(清水哲男)




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