G黷ェトの山句

August 1182003

 炎天下亡き友の母歩み来る

                           大串 章

省時の句だ。句集では、この句の前に「母の辺にあり青き嶺も沼も見ゆ」が置かれている。久しぶりの故郷では、山の嶺も沼も昔と変わらぬ風景が広がっていて、母も健在。なんだか子供のころに戻ったようなくつろいだ気持ちが、「母の辺にあり」からうかがえる。暑い真昼時、作者は縁側にでもいるのだろう。懐しく表を見ていると、遠くから人影がぽつんと近づいてきた。「炎天下」を、昔と変わらぬ足取りでゆっくりと歩いてくる。すぐに「亡き友の母」だとわかった。田舎では、めったに住む人の移動はないから、はるかに遠方からでもどこの誰かは判別できるのだ。このときに、作者の心は一瞬複雑に揺れたであろう。歩いてくるのは、友人が生きているのなら、こちらのほうから近寄っていって挨拶をすべき人である。だが、それをしていいものか、どうか……。自分の元気な姿は、かえってその人に亡き息子のことを思い出させて哀しませることになるのではないか。結局、作者はどうしたのだろう。私にも経験があるが、むろんきちんと挨拶はした。が、なるべく元気に映らないように、小さな声で、ほとんど会釈に近い挨拶しかできなかった。その人のまぶしそうな顔が、いまでも目に焼きついている。風景は少しも変わらなくても、住んでいる人の事情は徐々に様々に変化していく。掲句は、まことに静かな語り口でそのことを告げている。『山童記』(1984)所収。(清水哲男)


June 1362007

 夏山のかぶさつてゐる小駅かな

                           田中冬二

蒼と緑が繁り盛りあがり、緑がしたたらんばかりの夏山である。大波がうねるように濃い緑が暑さをものともせず起ちあがり、覆いかぶさって、麓の小さな駅を一呑みにせんばかりの勢いである。まかなかワイドな景色ではないか。小駅を配したことによって、対比的に夏山がいっそう大きく感じられる。のみならず「かぶさつてゐる」という描写によって、夏山があたかも巨大な生きもののようにダイナミックに感じられる。信州あたりの実景かもしれない。かぶさるような山の緑に、今にも圧しつぶされそうになっている小さな駅に対する、作者の慈しみの心を看過してはなるまい。冬二の詩にも同じような心を読みとることができる。私事で恐縮だが、中学生の頃にアンソロジーで出会った詩集『青い夜道』のなかの詩が気に入って、まめにノートに書き写したりした一時期があった。「ぢぢいと ばばあが/だまつて 湯に入つてゐる」なんて短詩は、掲出句の世界と今やとても近いものに感じられる。こうした何のてらいもない句が、何かの拍子に人の心に覆いかぶさってくることだってあり得る。うれしいことだ。冬二には、ほかに「白南風や皿にこぼれし鱚(きす)の塩」という夏の句もある。『行人』(1946)『麦ほこり』(1964)二冊の句集があり、俳句について冬二はこう述べている。「これまで俳句を詩作の側、時にそのデッサンとして試作してきたが、本格的の俳句は決して生やさしいものでない」。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


June 0462008

 満山の青葉を截つて滝一つ

                           藤森成吉

書に「那智の滝」とある。滝にもいろいろな姿・風情があるけれど、那智の滝の一直線に長々と落ちるさまはみごとと言わざるを得ない。すぐそばでしぶきを浴びながら見あげてもよし、たとえば勝浦あたりまで離れて、糸ひくような滝を遠望するのも、また味わいがちがって楽しめる。新緑を過ぎて青葉が鬱蒼としげる山から、まさにその万緑をスパッと截り落とさんばかりの勢いがある。「青葉」「滝」の季重なり、などというケチくさい料簡など叩き落す勢いがここにはある。余計なことは言わずに、ただ「截つて」の一言で滝そのものの様子やロケーションを十二分に描き出して見せた。いつか勝浦から遠望したときの那智の滝の白い一筋が、静止画の傑作のようだったことが忘れられない。ドードーと滝壺に落ちる音が、彼方まで聞こえてくるようにさえ感じられた。「青葉を截つて」落ちる滝が、あたりに強烈な清涼感を広げている。ダイナミックななかにも、「滝一つ」と詠むことで一種の静けさを生み出していることも看過できない。よく似た句で「荒滝や満山の若葉皆震ふ」(夏目漱石)があるが、こちらは「荒」や「震ふ」など説明しすぎている。成吉には「部屋ごとに変はる瀬音や夏の山」という句もあるが、澄んでこまやかな聴力が生きている。左翼文壇で活躍した成吉は詩も俳句も作り、句集『山心』『蝉しぐれ』などがある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


August 0382014

 雲は王冠詩をたづねゆく夏の空

                           仙田洋子

者は、稜線を歩いているのでしょう。標高の高い所から、雲を王冠のように戴いている山を、やや上に仰ぎ見ているように思われます。「雲は王冠」の一言で詩に出会えていますが、夏の空にもっともっとそれをたづねてゆきたい、そんな、詩を求める心がつたわります。句集では、掲句の前に「恋せよと夏うぐひすに囃されし」、後に「夏嶺ゆき恋する力かぎりなし」があり、詩をたづねる心と恋する力が仙田洋子という一つの場所から発生し、それを率直に俳句にする業が清々しいです。また、「橋のあなたに橋ある空の遠花火」「国後(クナシリ)を遥かに昆布干しにけり」といった、彼方をみつめる遠い眼差しの句がある一方で、「わが胸に蟷螂とまる逢ひに行く」「逢ふときは目をそらさずにマスクとる」「雷鳴の真只中で愛しあふ」といった、近い対象にも率直に対峙する潔い句が少なくありません。詩に対する、恋に対する真剣さが、瑞々しさとして届いています。ほかに、「踏みならす虹の音階誕生日」。『仙田洋子集』(2004)所収。(小笠原高志)


July 2672016

 おまへだつたのか狐の剃刀は

                           広渡敬雄

前に特徴のある植物は数あれど、「キツネノカミソリ」とはまた物語的な名である。由来は細長い葉をカミソリに見立てて付けられたというが、そこでなぜキツネなのか。イヌやカラスはイヌタデやカラスムギなど役に立たないものの名に付けられる例が多いが、キツネは珍しいのではないか、と調べてみると結構ありました。キツネアザミ、キツネノボタン、キツネノマゴ、キツネノヒマゴとでるわでるわ。犬や鴉同様、狐も日本人に古くから馴染みの動物だったことがわかる。そして、カミソリやボタンなど、人間に化けるときに使うという見立てなのかもしれない。掲句は幾度も見ていた植物が、名だけを知っていた思いがけないものであったことの驚き。出合いの喜びより、ささやかな落胆がにじむ。〈腹擦つて猫の欠伸や夏座敷〉〈間取図に手書きの出窓夏の山〉『間取図』(2016)所収。(土肥あき子)




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