July 1872003

 灼けし地にまる書いてあり中に佇つ

                           後藤綾子

語は「灼けし(灼く)」で夏。「砂灼ける」「風灼ける」などとも使う。真昼の炎天下、まったく人通りのない道を通りかかることがある。句の場合は、住宅街の一画だ。道には、まだ涼しい時間に遊んでいた子供が書いたのだろう。石けり遊びか何かの「まる」がぽつんと残されていた。その「中に佇(た)」ってみましたというだけの句だけれど、猛暑の白昼にある作者の精神的な空漠感がよく出ている。子供ならちょっとケンケンの仕草でもしそうな場面だが、大人である作者はただ佇っているのだ。「立つ」よりも「佇つ」のほうには、やや時間的に長いというニュアンスがあり、それが一種の空漠感を連想させる。最初は茶目っ気も手伝って、懐しい「まる」の中に立ってみようとした。が、実際に立ってみると、しばし佇立することになってしまった。と言っても、べつに「まる」の中でおもむろに来し方を回想したり、往時茫々の思いにとらわれたわけではないだろう。第一、暑くてそれどころじゃない。そういうことではなくて、微笑して見過ごしてしまえばそれですんだものを、わざわざ中に入ってみたばかりに、意外な精神状態の変化が起きたということだと思う。ナンセンスと言えばナンセンスな行為によって、ふっと人は思ってもみなかった別世界に連れていかれることがある。暑さも暑し、「まる」の中の作者の心はほとんど真っ白だ。いったいあれは何だったのかと、この句を作りながらも、なお作者は訝っているかのようである。『一痕』(1995)所収。(清水哲男)




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